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南柯の歴史及び南柯社会則
安藤町彦(南柯句会同人)
「南柯」は正岡子規の流れをくみ、100年以上の伝統を持つ俳句結社です。第一回句会は、今から109年前の大正2年(1913年)に東京日本橋の料亭「池の尾」で行われ、翌年からは日本橋「常盤倶楽部」で開催するようになったと伝えられています。
初期の記録に、「ある俳人が内藤鳴雪を訪問の際、何か..句会でもやりましょうかという軽い座談が南柯を生んだ」「のちに鳴雪翁が、わざわざ拙宅を訪ねてきて、私に一切の南柯の世話を任された」とあります。
内藤鳴雪は、漢学から得た高い学識を持った、明治の有名な俳人です。元松山藩士で明治維新後は官吏となり
、その後、旧藩主久松家の運営する寄宿舎の世話役となって、東京で勉学に励む正岡子規ら旧藩の若者に漢詩を指導しました。のちに鳴雪は子規の影響で俳人となり、今度は逆に21歳年下の子規を師と仰ぎ、句作に没頭する生涯を送ったのです。内藤鳴雪が「南柯」の実質的な創始者といっていいでしょう。
その後「南柯」は、関東で広がりを見せ、東京市赤坂区田町(現在の港区田町)を中心として、三鷹南柯会、芝南柯会、世田谷南柯会、北総南柯会、鳩ケ谷南柯会、鎌倉支社など各地に支部を有していたことがわかります。関東の俳句結社の中で「名門」のひとつに数えられていたに違いありません。
太平洋戦争の戦局が厳しくなり、東京が焼け野原となって、多くの出版物と同じく、「南柯」誌は休刊となります。そして終戦となり、「南柯」は新たな時代を迎えます。
昭和61年には、秋山未踏が主幹となり、飄々かつ厚みのある人柄で後進を育てます。未踏は平成15年、東京中野から奈良に転居し、「南柯」結社も約90年所在した東京から、奈良支部がある奈良市に拠点が移ります。
平成24年、秋山未踏の逝去によって、和田桃が初の女流主幹となります。現在は和田主幹を囲んで、なごやかで、厚みのある句会が続いています。
南柯社・会則
会則→
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